認知症いろいろ たしかめてください、患者さんの「認知機能」

Dementia Support 2012 Winter

センター方式で互いの可能性をひらく(8)

震災後、ケアの原点に立ち戻り、本人の声を聴くことから始めた

  • 事例提供 (株)リブレ代表取締役 グループホーム なつぎ埜 蓬田隆子
  • アドバイザー 認知症介護研究・研修東京センター 研究部副部長 永田久美子

津波に襲われ、7名の利用者と住まいを失い、避難先での厳しい暮らしが始まったグループホーム“なつぎ埜”。職員は利用者の命を守ることに必死だった。少し落ち着いたころ、ある利用者がつぶやいた。「何もすることがないのがつらい」。利用者は津波を忘れていても、大変な状況にあることは感じていて我慢していたのだ……。そう気付いた職員は、もう一度ケアの原点に立ち戻って、ありのままの声に耳を傾け、一人ひとりの思いや力を知って支えようと決意し、センター方式のシートを使い始めた。

「津波が来るぞ!」

 仮設住宅のグループホーム、晴れた日の午前。女性たちが洗濯物を干し、傍らで男性が椅子にかけ日向ぼっこをしている。畑から採った野菜を大事そうに抱えている女性も。和やかないつもの風景。こうした生活がかつてもあった。それが3月11日一瞬にして暗転した。

 2ユニット18名の「なつぎ埜」は仙台市若林区にあった。その日地震がおさまった段階で先に14名が車で指定避難場所の東六郷小学校に避難。残る4名は校庭がいっぱいという知らせでなつぎ埜で車中待機。「津波が来るぞ!」と叫び走る抜ける車があり、前方を見ると陽炎のようなものが見え、その下に木や車、家を巻き込んだ真っ黒い波が迫ってくるのが見えた。すぐになつぎ埜を出発し、JR仙台駅近くのもう1つのホーム「よもぎ埜」を目指した。普段30分の道程を4時間半かけてようやく到着。

 ホーム運営者の蓬田隆子さんは、小学校に避難していた人たちは無事だと思っていた。だが、携帯電話もつながらず、翌12日にようやく連絡がとれ、小学校も津波に襲われ利用者6名が行方不明、1名は亡くなったことを知る。頭の中が真っ白になり声を失った。蓬田さんはその日のうちに助かった7名をよもぎ埜に迎え入れ、11日一晩小学校で過ごしたときの様子を職員から聞いた。

3月12日、安否確認に行くが、道路は通行止めになっていた。高速道路に上がり、3キロほど歩きなんとか「なつぎ埜」まで行くことができた。そこで見た光景は想像を絶するものだった。東側の田んぼは湖のような状態に

 認知症の人はトイレが心配だったり、大勢の人がざわざわしていると混乱を招きやすいので、静かな環境を心掛け、教室の中央ではなく、壁側のトイレに近い場所を確保。真っ暗で凍えるなか「大丈夫だよ、皆でくっついていよう」と声を掛けながら、背中や手へタッチング。また「ここはどこ」「何時なの」という質問が多かったので、どうしてここに来たのかという説明よりも、ゆっくりと短い言葉で「学校だよ」「何時だよ」と対応した。

 「職員がこんなときだからこそ、普段と同じようにやろうという気持ちになった。そう意識したケアができたことが大切だった」と蓬田さん。

 よもぎ埜は、なつぎ埜の11名が加わって総勢29名になった。電気も途絶え、寒くてごった返している中、避難生活が始まった。

 「とにかく“食べること”“眠ること”“排泄すること”をいかに確保するか、それがケアの中心でした。両方の事業所で情報を共有して、“まずは命を守る。そのために身体を守ること”を確認しました。身体の健康を守れなければ心は守れませんから。職員も家族と連絡がとれないといった状況の中で、自分の感情を抑えてひたすら利用者を守りました」

水が引いたあとのグループホーム

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