認知症いろいろ たしかめてください、患者さんの「認知機能」

認知症特集

座談会

認知症を抱える本人の視点

座長:筑波大学 医学医療系臨床医学域精神医学教授 朝田 隆
川崎医科大学 神経内科特任准教授 認知症疾患医療センター副センター長 片山禎夫
こだまクリニック 院長 木之下 徹
独立行政法人国立長寿医療研究センター 第二脳機能診療科医長 武田章敬
オブザーバー:厚生労働省 老健局局長 宮島俊彦

(50音順)

1. 認知症を取り巻く医療環境
認知症のある人を社会はどのようにみているか

朝田 隆先生

朝田 平成25年度以降の医療計画に記載すべき疾患に、精神疾患を追加した「5疾病5事業」を盛り込むことが決まり、認知症医療は新たな局面を迎えることになります。精神疾患で医療機関にかかっている患者数が近年大幅に増加し、平成14年からはがん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病の4疾病を上回っています。なかでも平成22年の時点ですでに200万人を超えている認知症は、わが国が最優先に取り組むべき重要課題の一つと位置づけられています。このような背景を踏まえ、本日は認知症医療の根本を改めてみつめ、あるべき姿について話し合っていきたいと思います。
 認知症は加齢とともに増加していく“common disease”である、という認識が定着しています。では、認知症を抱える本人からみた医療の現実はどうなのでしょうか。認知症になると通常の医療が受けられないといった声も聞かれますが、日常での経験などを最初にお聞かせください。

木之下 以前厚生労働省班研究に参加し、認知症の人々が家族や医療者などからどのような扱いを受けているのか調べたことがあります。すると、例えば糖尿病に罹患していてもBPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia)があると適切な治療が受けられない、あるいは大腸がんの検査すら受けられない、といった心痛ましい現実が浮かび上がってきました。少なくとも私が話しているときには穏やかで理知的な方でも、そういう現実がありました。また、ある歯科衛生士が口腔ケアで訪問した際、認知症の人に「お歌は何が好きですか」と尋ねたんです。すると突然本人は「私を何だと思っているんだ」と怒り始めた。歯科衛生士は親切心のつもりで接したのです。しかし、認知症と診断されて以降、認知症というスティグマ、あるいはラベル化という事態を日常的に経験する不幸が続いていると本人が感じたため、怒ったのでしょう。「自分ごと」とすれば当たり前な話です。

朝田 その方は子ども扱いされたと受け取られたわけですね。片山先生は元国立病院機構*の認知症治療医として、このような問題を経験されたことはありますか。

片山 私が以前勤めていた施設では認知症を抱えていても、例えば大腸がん手術などがきちんと受けられる環境を整えていますが、入院のときや検査を受ける際にも「その人らしさ」に配慮した対応ができるように看護師やその他医療従事者に指導することが重要だと思います。木之下先生が紹介された事例はある歯科衛生士の認知症の人に対する理解不足から生じた問題のようですが、むしろ認知症の人と介護家族に病気の理解を促すための教育・指導が不足している場合も多い。本人の心の動き、精神状態が穏やかに保てるための工夫、本人と家族の接し方を指導したり、相互に理解し合えるように手助けすることが大切だと思います。また、認知症の人が地域社会で生活していくには、近所の人や地域住民にも認知症の知識がないと本人を傷つけることも考えられますね。

朝田 なるほど。認知症の人にやさしさの手を差し伸べるとき、親切には二面性があることを忘れてはいけないということですね。本人がその行為に「うれしい。ありがとう」と感じる反面、「自分にはできないと思って手を貸したんでしょ」や「なさけない」と感じられる面もある。武田先生はこのようなケアの二面性にどのように折り合いをつけていますか。

武田 まずは本人の状況や状態をしっかり把握しておかないと、先ほどの「お歌」の事例のように認知症の人を傷つける可能性があると思います。ただ、本人がどこまでわかっているのか、できるのかを評価すること自体が傷つけるおそれもあります。そこが診療では一番難しいところだと感じています。外来診療で家族が「わかっていないこと、できないこと」を指摘したときに、私が本人に「この部分はしっかりわかっていますよね」と話すと、「わかってくれているのだ」という安堵の表情をされる場面も少なくありません。「わかっていること、わかっていないこと」をきちんと把握するのが医療者の務めではないかと思います。

朝田 「わかっているが、できていないところ」の見極めが大切ということですね。

木之下 武田先生が指摘された問題は、認知症の中における認知機能の低下は、症状という形では現れない、つまり認知症の苦悩の根源は内在化していることに関係しているのではないかと思います。医療者が本人に病気や状態のことを伝えるときは、「できること」という能力を前向きにとらえて、それを周りの人々と共有することが大事なのだろうと思います。先ほど朝田先生が言われたケアの二面性ですが、うちのスタッフがある施設でこんな経験をしています。高度アルツハイマー型認知症の人から「親切とお世話には涙が出ます。でも、涙の出る場所が違うんです」と言われたそうです。

朝田 親切には感謝の気持ちから涙が出るけれども、お世話には「お世話になる自分が悔しい」という意味ですね。

木之下 そうです。「配慮」にはうれしいが、「対応」は平等な価値を有する人として毀損された気持ちがしたのでしょう。対応は悪いことに対して行われるようなイメージもあります。傷つくかどうかの判断は、「自分ごと」として置き換えて考えるとわかりやすいのではないかと思っています。

片山 そうですね。「○○をしてあげる」、「○○はできないでしょう」といった言葉遣い、あるいは様々な支援を含め、周囲の人々の接し方に対して、それぞれ本人が「うれしい」と思うのか、「うれしくない」と思うのか、心の動きをつかむことが認知症診療の基本にあると思います。
 糖尿病になれば多くの患者さんは病気を克服しようと努力されます。でも認知症の場合、そうした努力が周りの人から評価されない方向に向かってしまうことが多い。そのことを理解せずに、周りの人がそうした努力を否定したり、「できないでしょう」と言うと、認知症のご本人は傷ついてしまうと思います。

(*元国立病院機構広島西医療センター 認知機能疾患科医長)

「尊厳の保持」と「自立支援」は普遍的な理念

朝田 宮島局長は、臨床医の先生方のお話を聞かれて、認知症の人との接し方についてどのようなご意見をお持ちですか。

宮島 私自身は臨床の経験がないのですが、実は一人暮らしの義理の母に認知症があり、料理などの日常生活を手伝っています。その経験を通して感じているのは、本人は自分のことが意外とわかっている、病識があるということです。もう一つは、周りの人が認知症の方と良好な人間関係を作っていく工夫が大切だということです。例えば、本人は洗濯や料理をやりたいけれども手順がわからなくなっている。そういう場合でも、本人が手伝えるパートを見つけて、一緒に作業するととても喜んでくれます。
 周りの手助けが認知症の方を傷つけてしまうという問題は、介護保険制度で掲げている基本理念の「尊厳の保持」と「自立支援」とも関係してくるのではないでしょうか。これらは認知症の方を含めた高齢者ケア全体に適用されうる普遍的な目的だと思っていますので、認知症の医療者もこの理念をどのように実現するかが今後大事になってくるのではないかと考えています。

朝田 「尊厳の保持」は認知症の人が傷つかずプライドを保つ、「自立支援」はケアあるいは手助けという意味で、理念として共通性があることがよくわかりました。
 食事がうまくできない、服が着られない、トイレの水を流すのを忘れるといった症状は、BPSDではなく、生活機能障害といえるでしょう。これに指導をされたら誰しもいやな気持ちになります。尊厳を保持しながら、いかに自立を支援するかという具体的な話になると、それは心の問題ではなく、むしろ技術論へと進んでゆくと思います。

認知症におけるパーソン・センタード・ケア

朝田 トム・キットウッドが1990年代に新たな認知症ケアモデルとして「パーソン・センタード・ケア」を提唱し、日本でもその概念に基づく取り組みが行われております。皆さんは、日常臨床においてこの考え方をどのようなイメージでとらえていますか。

武田 これは木之下先生から教わったことですが、認知症は誰でもなる可能性があり、「自分が認知症になった場合のこと」を忘れないよう診療を行うことを心がけております。厚生労働省在職中に若年性認知症施策に携わったときも、チームのメンバーと「自分たちが若年性認知症になったことを想定して考えよう」を合言葉として、必要な支援やサービス、体制を検討したことを憶えています。

朝田 自分がその立場になったら「どうしてほしいのか」、これに尽きるということですね。片山先生のご意見はいかがですか。

片山禎夫先生

片山 認知症の人は機能の低下や症状をその人なりに乗り越えようと努力しているのに、勘違いをしたり、夕方なのに外出したり、入院中に帰宅するといった行動をとってしまう。本人は頑張ってやったことなのに周りは理解できない。パーソン・センタード・ケアでは、本人と周りの人に認知症の理解を促し、このような努力行為の意味をわかってもらうこと、そして勘違いをしないための工夫を図ることが必要だと思います。パーソン・センタード・ケアの基本は、本来できていたことができなくなったから周りの人が代わりにするのではなく、一緒にすることによって、部分的にでも同じことができるようになる。本人がうれしい、楽しいと感じるのは、同じ立場で周りの人と一緒に何かをする、ほかの人に何かしてあげることではないかと思います。必要としてくれる人がいること、楽しいという気持ちを持てるように指導していくことが大切です。

朝田 おっしゃるとおり、自分が周りから必要とされていると感じることは、人間が尊厳を持って生きていくうえでの原動力だと思います。何かを一緒にすることで喜びを感じたり、自分の存在理由を認めてくれる人が周りにいると、認知症の人が生きるうえで大きな力になるということですね。

木之下 トム・キットウッドの後継者であるドーン・ブルッカーは、2007年にパーソン・センタード・ケアの概念をVIPSという4つの要素に整理しています。Vは「Values people」(人の価値)、Iは「Treat people as Individuals」(その人のための治療)、Pは「Perspective of service user」(サービス受益者の視点)、最後のSは「Supportive social psychology」(社会心理面でのサポート)で、私がこの要素の中で好きな言葉です。仮に局所的に言うと人間関係、もう少し拡大するとそれが織りなす文化あるいは社会が形作っている価値観だと思います。パーソン・センタード・ケアは「その人中心の視点に立ったケア」と誤解されやすいのですが、実際は、スタッフも医師も何らかの動機や理由があってケアに関わっているし、楽しみも悲しみも感じる人間です。「その人中心の視点」のみでとらえてしまうと、極端に言えばVIPSの“P”(サービス受益者の視点)だけになってしまう。片山先生、朝田先生が言われた「私を必要とする人がいるんだ」という思いは“S”(社会心理)に含まれる。この要素が社会全体に関わってくる問題であり、「自分を必要としてくれる存在」が感じられる文化に成長していかないと、人として扱われない瞬間がたくさん生じるのではないでしょうか。

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