認知症いろいろ たしかめてください、患者さんの「認知機能」

認知症特集

座談会

認知症を抱える本人の視点

2. BPSDに対する医療の課題
BPSDには本人も困っている

朝田 地域あるいは在宅における認知症医療では、BPSDをどのように扱うかが重要な課題になっています。BPSDは幻覚、妄想、徘徊、易怒的で暴言を吐く、暴力をふるう、不穏で落ち着きがない、落ち込み、無気力、受診を拒むなどの症状を包括した幅広い概念です。これを論じるうえでは、アルツハイマー病やピック病といった原因疾患とその疾患のステージ、そして対応もしくは、脳病変の程度のバランスという三つの切り口からとらえると理解しやすいと思います。
 BPSDはなぜ生じるのでしょうか。認知症の日常診療や生活の観察から気づいた理由や背景、あるいは具体的な対応についてご意見を聞かせてください。

木之下 徹先生

木之下 疾患ごとにその中核症状以外が周辺症状であると考える限り、周辺症状は脳の変化が直結しない症状ということになります。一方、BPSDは疾患とは独立な概念で、認知機能の低下以外の行動・心理の症状の全般を指すものと理解しています。せん妄のように医療的介入によって改善される症状と、中核症状以外の症状が、BPSDには混在しているように思います。ここでいう中核症状以外の症状とは、脳の変化と直結しない様々な要因が関わっていて、暴言や暴力には誘因となる事情があるのではないかと考えています。
 BPSDとは、「周りが困った症状」として語られることが多い。しかし認知症を抱える本人の視点に立てば、「本人が困っている症状」もある、と言いたい。ただ、介護家族の状況が抜き差しならぬところまで陥っている場合、抗精神病薬を使うこともあります。しかし、何のために使っているのか、その是非を判断するのは難しく、本人を害する治療であるという罪悪感は拭えません。

朝田 認知症の介護者にとって負担の最も大きい問題はBPSDであるといわれています。本来治療は本人の利益になるはずですが、介護者中心の視点で行われることに矛盾を感じるということですね。

木之下 医師は家族の話に耳を傾けがちで、うまく話せず表現できない本人の意見は切り落とされていることが多い。口が閉ざされた本人の視点からいえば、「たまらない」介入が行われている現実があると思います。

BPSDには本人の生活と人間関係に目を向ける

朝田 宮島局長に伺いたいのですが、高齢者医療や福祉の行政に関わってこられた経験から、BPSDはどのように位置づけていますか。

宮島 有効な予防法や根治的治療法が未だ確立していない現在、認知症はいわく言いがたい位置づけにあるように思います。がん治療のように“cure”を目指すアプローチをとってしまうと間違った方向に行くのではないかという懸念を感じます。むしろ、障害者基本法が定めている基本理念のように、治癒は期待できないにしても、本人の尊厳や権利を保護しながら、ノーマライゼーションのための社会的・医学的なサポートが必要なのではないかと思います。
 また、先ほど「喜んでもらえる」サポートの重要性が強調されていましたが、福祉の関係でいうと介助は「お世話」になってしまう。生活援助である料理、食事、洗濯、身体介護に相当する食事、入浴、排泄、移動の介助、「すべてお世話しましょう」と言っても、認知症の方には必ずしも喜んでもらえない。その理由は、自分でできることは自分でやりたい、社会の中で役割を持ちたい、家族関係の中で自分の立ち位置をしっかり持っていたい、という意識があるのだと思います。そのところを汲み取って対応しないと、BPSDが亢進したり、悪循環に陥る可能性もあるでしょう。

朝田 つまり、生活機能障害に関連した葛藤や不満がたまったときにBPSDが現れるという解釈ですね。

木之下 尊厳の話が出ましたが、周りの人に何か言われたり扱いを受けて傷つき、行動・心理の症状が現れたり、落ち込むという症状が生じるのかもしれませんね。BPSDには困った症状という要素が多い、でも困った症状がすべてBPSDではない。医療者は困った症状をBPSDとしてとらえがちですが、「自分ごと」として洞察していかないと解決の糸口を見つけるのは難しいと思います。

朝田 片山先生はBPSDをどのようにとらえていますか。

片山 BPSDが脳の変性に起因する疾患固有の症状なのか、それとも周囲の人が正しく理解していないために本人にストレスがたまって出現する症状なのか。おそらく、両方の要因が関わっているのだと思います。では、臨床医としてBPSDに取り組むときはどこに目を向けるべきか。まずは、認知症の人が家庭、地域、あるいは福祉施設でどのような生活をしているのか、人間関係はどうなのか、そうした状況をきちんと把握することです。その理解がないと、適切な治療はできません。例えば、外来で診ると普通に会話ができてしっかりされている認知症の方でも、自宅では夜間徘徊して家族を起こすこともある。そういった日常の様子、介護家族の位置関係も知りながら、ご本人が周りの人からどれくらい理解されているのかも確認したうえで治療していきます。発症の初期に失認や失行が現れてトイレでズボンのファスナーを上げられなかったり、環境の変化で混乱が起きる場合もありますので、周りの人がそうした症状を理解・予想して、本人が戸惑わないようにみんなで工夫していく。一緒にトイレに行って…、そんな笑い合えるような姿がBPSDへの対応に好ましい関係ではないかと思います。
 しかし、周囲の環境がよくても、病気固有のBPSDは本人も辛いですから、ケアだけではなく、人間関係も考慮しながら最適な薬物療法を探すことも必要です。家族の訴えに応じて安易に処方すると、デイサービスの施設に行ったときに薬の影響で寝てしまい食事も取れないこともありますので、薬剤は慎重に選択しています。

武田章敬先生

武田 BPSDには薬物で治療できるものと治療できないものがあります。小澤勲先生は「周辺症状とは理解すべき対象である」、「どういう理由でそれが起きているのか介護する人に教えるだけで、周りの人が少しは楽になることもある」と述べられており、何故BPSDが起きているかを理解することが最も重要だと思います。ただ、現実の場面では、BPSDの起きている原因や背景を十分理解できないことも多く、差し迫った状況では、「理解が届かなくて申し訳ないけれども、周りとの関係も考えて薬を使わざるを得ないからごめんね」という思いで薬物で治療することもあります。
 また、周囲との関係性の中で出現するBPSDも多くみられるので、本人が孤独感や無力感に陥らないようにする対応も大切です。もの忘れ外来では、本人に声をかけて話をよく聞くこと、家族側の対応に問題がある場合には「そのような接し方を続けると、本人のストレスがたまっていきますよ」といった指導を行うことで、将来起こりうるBPSDを未然に防ぐ、そういう意識を持って診療に臨んでいます。

木之下 単に視点について指摘すれば、小澤勲先生が言われた「理解すべき対象」というのも実は周りの視点ですよね。精神科医ヴィクトール・フランクルは著書『夜と霧』で「異常な状況では異常な反応を示すのが正常なのだ」と述べていますが、これこそが、本人の視点ではないかと思います。

認知症の人も地域で生活はできる

朝田 なるほど。ここでBPSDについての論点を変えて宮島局長に伺いたいのですが、行政の視点からBPSDあるいは認知症全般への認識や対応はどのように変遷してきたのでしょうか。

宮島 認知症医療の歴史を振り返ると、最初は認知症の人を“異次元の人”ととらえる見方が主流だったと思います。その後、精神病院の入所対象者となり、介護保険制度が導入されてからはサービスが受けられるようになりました。認知症への理解はかなり進んできたと思いますが、最後は病院や介護施設に受け入れてもらうしかないという認識が未だに根強いと感じます。
 本来、認知症の方は自分のことがわかっているし、日常生活も自分で何とかしたいという意欲を持っている人も多い。そのような方が施設に入所してしまう回転に歯止めをかけ、なるべく地域で生活して近所の人々と関わりを持ちながら、医療やケアの専門家が支えていく体制を確立しなくてはならないと思います。認知症と最初に診断された時点で、どのような治療・ケアの選択肢があるのか、介護サービスはどの時点で提供するのか、そうした医療の流れの全体像が本人と家族にわかる仕組みを整備する必要性がある。“common disease”への取り組みというのは、そういうものだと思います。

朝田 そうですね。時代や新たな制度の登場とともに、BPSDに対する世間の見方も明らかに変化していると感じます。医療の必要性も大きいが、十分な支援を行えば地域の中で普通に生活していける方も多いというお考えですね。

宮島 人数の問題からそのような体制が必要と言っているのではなく、疾患の特性を踏まえると、認知症の方でも地域で何とか生活していけるんだ、という認識を一般に広めていくことが大事だと思っています。

朝田 まさに本座談会のキーセンテンスになるお考えですね。

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